会津高原
茅葺き屋根の宿場町
大内宿

     交 通  車 磐越自動車道会津若松インターより国道121号で湯野上経由大内へ     
        
nんんん     JR・磐越西線会津若松より会津線、湯野温泉駅下車、車15分
      所在地  福島県南会津郡下郷町大内
福島空港からレンタカーで白河高原を突き抜けると会津高原の北方に大内宿はあった。周囲は烏帽子岳(エボシダケ)、大野岳、六石山など1000m級の山に囲まれた 標高650mの山間の集落でる。
江戸から奥州へは通常奥州街道が主体であったが、会津藩の保科氏は米沢〜会津若松〜日光 〜江戸へ通じる険しい山岳地帯に街道を建設した。これが中奥街道であり、その宿 場の一つが大内宿である。この大内宿は藩が17世紀の前半に開発した当時のニュータウンとも言える。(下記いえなみ略図参照、計画的町づくりがうかがえる)
まちは、なだらかな南斜面地域に、中央に一本の掘割(用水路)と、その両側に道を通し、みちの両側を、間口7間半間隔で分割し、敷地の面積は95坪で、東西それぞれ22戸〜24戸の地割とした。最北部は山で止め、みちは山裾を東に曲げ、集落はクルドサック道路(袋地状)のような明解な領域性を持たせてある。当時は防街上の意義から行き止まりのような道路形態としたのであろう。そして西側のほぼ中央付近には、間口を少し広めに区画し本陣とし、さらに北部高台と本陣のさらに西部には、集落を見下ろす場所に菩提寺の正法寺と鎮守社としての高倉神社を設けている。このような町なみ景観は、現在も17世紀の空間構造や地割りがそのまま残されている。
町なみの特徴は、寄せ棟平屋独立建て茅葺きであり、敷地間口が一定であるため、床面積は44坪〜52坪と一定で他の一般的な宿場よりかなり大きい。これは、雪深い山間であるため「うまや」を 住居の中に収容し、さらに客と家族が一つ屋根の下に住まうのに必要な最小限の大きさであろう。 建物は街道から少し後退されて配置され、街道に面し内縁があり、掘割と内縁までの空間は荷馬や旅人の出入りで賑わった。

内縁には高さ30cm程の、和紙貼りの「上すかし雨戸」が特徴である。これは積雪時に雨戸を開けずに採光する工夫である。 間取りでは、おくは1/3程の土間になっており、「うまや」「ながしば」等がある。中央部の大きな部屋が居間であり、いろりがある、中央奥に「へや」と称する三方土壁で囲まれた一室が家族の住居であり、この壁はプライバシーを守る工夫であろう。最もみちに近い2室は宿場町としての営業用の客間である。
 

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