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★若狭湾から琵琶湖へ抜ける街道の途中に熊川宿はある。江戸時代、蝦夷地や出羽、越後など各地の昆布や、米等の特産物、そして若狭の海で捕れる新鮮な魚を、敦賀や小浜で陸揚げし、大市場である京都、大坂へ運ぶルートを「若狭街道」、愛称を「鯖街道」呼ばれた。これは京都市民の貴重な蛋白質源ある、若狭湾の鯖を急送するルートであったからである。
★この琵琶湖と若狭湾の中間にある山中の宿場町熊川宿が他の宿場町と異なる点は、旅籠や馬借のいわゆる宿泊、荷物運送中継の外に、北日本から京・大坂の入口である場所を生かし、物資の流通をコントロールする問屋の役割をしていたことである。運送は運賃を目的とする「賃積」(普通の宿場町)と、物資を安い土地で買い、高く売れる土地へ運び相場を読み高く売る「買積(かいづみ)」がある。熊川宿は後者であり、当然利巾は大きい、ここには当時の豪商達の立派な民家が現存する。 |
中ノ町の勢馬清兵衛家(屋号菱屋)は、間口28間にも及ぶ大屋敷で、店や帳場や屋敷、あるいは庭園など、往年の大問屋の繁栄を彷彿とさせる格調がある。特に平入りの大屋根と、水路に面した千本格子は見ごたえがある。荻野家は、屋号を倉見屋と称し、明暦3年(1657年)の女手形(通行手形)を初め多くの古文書を所蔵している。平入りの大屋根に迫力があり、妻入りの土蔵はまちなみにアクセントを添えている。屋敷は間口、奥行き共に広く、特に奥は、北川まで敷地が続き川船を活用した、大問屋の風格が感じられる。造り酒屋の逸見家は、河内川との交点に近く、地酒“”を販売してる。 |
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★町なみは、北川に沿って東西1.5kmの山間の凹地にある一筋まちで、上ノ町、中ノ町、そしてまがりを経て下ノ町に至る。特に印象的なのは、街道の家なみに沿って流れる、清流「前川」の存在である。澄んだ水が勢いよく流れ、又、時にはよどみ、せせらぎの音はくらしの中に自然のリズムを取り入れてくれる。この水を住宅の下にも取り込ん「懸造り」と言われる構造の家がいくつかあり、又、住まいの中の「かわと」と言う水利施設が見られ、西瓜を冷やしたり、小さな水車風の「芋洗い器」がかけられたりして、日常生活に活用されている。
★東を見ても西を振り返っても、道筋のはるか前方には、美しい山並みが望める。ヒューマンスケールの路地から見た景観も美しく、初めて訪た人でも、親しみを感じさせる町でる。
★岐阜県境の大野市では恐竜の化石が見つかり展示されている。 |