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福岡から九州自動車道で、鳥栖ジャンクションより、大分自動車道に入り、朝倉インターチェンジまで1時間で到着し吉井宿に入る。この先、天領日田まで22km程、湯布院まで60kmとの標識があり、交通網の発展にいまさらながら感心した。
筑後吉井は、阿蘇山系を源流に有明海にそそぐ九州の大河筑後川の中流にあって、江戸時代には、城下町久留米と、天領日田を結ぶ豊後街道の宿駅として機能し、日田の木材資源を筑後川の水運で、京・大坂の普請に活用したことであろう。
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しかし、この町は、宿場町というよりは、筑後川より導水した大石・長野水道の完成により、藩が奨励した商品作物の加工集散地として、酒造・製油・精蝋・製粉業を中心に繁栄し、吉井の商人は莫大な富を蓄積した。商品は筑後川の舟運により、久留米方面に出荷していた。資力を蓄えた商人は「吉井銀」と称される、特異な金融活動でも知られる在郷町として繁栄を誇った。商家の建築は「いぐら屋」と称される。大変贅沢な造りが軒が連ねる。「いぐら屋」とは、“い”は居であり“ぐら”は蔵、“屋”は家の意味であり、蔵造りのような住居と言うことであろう。 |
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吉井の商家は、豊富に財力を示すごとく破風とか妻壁、小庇、戸袋などに意匠が凝られた鏝絵で飾るなど、贅をつくした町家建築が多く見られる。内部も上質の材料をふんだんに使い、中の間に吹き抜けを設け、箱階段や神棚を据え、太い構造材が交錯する見応えのある空間が形成されている。
蔵造りと塗り家造りの違いは、壁厚と開口部に見られる。蔵造りは壁厚も厚く、開口部は小さく2階の窓は、分厚い塗り戸か鉄扉を取り付ける。塗り家造りは、外壁、軒裏など延焼の恐れのある部分に漆喰を塗りまわし、2階の窓は格子にも漆喰を塗りまわし、虫籠窓とするのが特徴である。つまり蔵造りは耐火構造、塗り家造りは防火構造というところであろうか。蔵造りとなると仕上げは左官が取り仕切った。 |
彫り物は大工の腕の見せ所であるが、鏝絵は左官の腕の見せ所である。吉井の鏝絵は、左官の鏝さばきで町なみに美しいレリーフを掲げている。建築と一体となった装飾で、町なみを飾ることで、その町独特の表情が生まれ、町に個性と愛着を感じさせることができる。 吉井のまちは住民主体で、文化と伝統の保存向上に努めている。各民家それぞれが所蔵品や創作品を公開し、小さな美術館めぐり、おひなさまめぐり、句碑めぐり等を実施しており、誇りと自信に満ちた手作りのまちづくり運動が定着しているように思えた。
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