それらの赤煉瓦の煙突と、流通を担う商家の蔵、現在の赤瓦の町、倉吉は、これらの商業群が玉川沿いに構えた店と蔵の景観で倉吉の町をレトロなムーヅにしている。
・魚町から西町にかけて延長580mの本町通りには、両側に商家が並ぶ、この付近は、城下町の時代からの町人町で、並行して玉川が流れ、研屋町、新町通りの職人町と境界をなしていた。玉川は、奥谷からの運河で生活排水と防火用水の役割を持った。玉川沿いの南側が赤瓦の町として有名な白壁土蔵群のまちなみとなっている。この通りは、本町通り商家群の裏門倉、裏座敷、醸造倉等の建築群で、各戸の裏口には、玉川に一枚板の石橋が架けられている。 |
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この通りは、本町通り商家群の裏門倉、裏座敷、醸造倉等の建築群で、各戸の裏口には、玉川に一枚板の石橋が架けられている。南側の正面入口はアーケードが設置されレトロな景観は見られないが、この本町通りから裏の玉川までの奥行き約50mが各戸の敷地であり堂々たる豪商の並ぶまちなみである。・山陰の曇り空に赤瓦が映える。この赤瓦は、石州塩焼瓦で雪害に強い。代表的な民家に高田邸、淀頼邸、江原邸、前田邸、谷本邸などがあるが居宅であり非公開である。醤油醸造家を改装した赤瓦一号館を始め、赤瓦八号館まで各種の物産販売や、飲食の出来る民家があり、赤瓦五号館では自分で選んだコーヒーを自ら石臼で挽かせてくれる店もある。 |