これは宗教による思想の統一と団結そして防衛軍事力を持つ一つの都市国家とも言えるものである。このような環濠集落は、今井のほか、若槻、稗田等、奈良盆地に多数建設された。その防衛力は強力で、奈良平野での幾度の戦乱にも動じず、むしろ安全地帯として亡命者の受入れさえもを行った。
・時が過ぎ、織田信長が天下統一を目前にした時、残る反“信長”勢力は本願寺(一向宗)が中心であった。信長は11年間に渡り本願寺を攻め、各地の環濠集落を攻略した。大坂夏の陣の後、秀吉側も今井を攻めるが、今井軍はこれを撃退し、徳川の世となって家康はこの功を称え、今井を優遇し私札の発行を許し商業を盛んにし天領として惣年寄に司法権、警察権を委任した。こうして自由都市として“海の堺”“陸の今井”と言われる程、商業、貿易の中心地として繁栄した。
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