底霧の町








天領・日田  




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所在地  大分県日田市豆田町・隈町
 交 通  JR 久大本線日田駅より徒歩20分
 車  大分自動車道日田IC2キロ



日田は、九州の大河、筑後川上流の花月川と三隈川に挟まれた盆地にある。日隈、月隈、星隈の三つの丘と清流が盆地の景観に変化を与え「底霧」の朝、霧の下から清流の音が町の道しるべとなり、日、月、星の三つの丘は、霧につつまれながらランドマークとなる
・おいたち
隈町は1594年(文禄3)豊臣秀吉の家臣宮本長次郎が日隈城の城下町として創り、豆田町は1601年(慶長6)小川光氏が月隈の丸山城の城下町として建設した。1639年(寛永16)幕府の直轄地、天領となってから両町に多数の商人が住まうようになった。特に掛屋と称される豪商たちは、日田金(公金)による金融業を営み、諸国に大名貸しや村貸しをして財をなし、八軒士とか掛屋仲間衆と呼ばれた。現有する町家の中で豆田の草野家や広瀬家、隈の山田家はその人々であった。

・まちなみ
南北に並行して走る上町通りと下町通り(現在の御幸通り)は約六十間(約百メートル)の間隔でこの二本の道を梯子状に五本の街路と三本の水路が東西に通る碁盤目の明解な町である。現在の町の骨格は、1864年作成の「元治元年豆田町絵図」から読みとれる町割りと大差ない。豆田の町なみの特長として屋根の形状の多様性がある。平入り、妻入りそれぞれに切妻造り、入母屋造りその他、町家ではめずらしい寄棟造りもある。代表的な建物では、下町通りを南側から入る角地にある「升屋」呼ばれた旧草野本家がある
この家は日田の町なみを象徴する町家で大きな切妻面全面をなまこ壁としアイ・ストップとして印象的である。平入りの広瀬家は、草野家、山田家と共に金融業の主力で、広瀬淡窓は、明治維新の逸材を多く育てた。私塾「咸宜園」を開き、門弟は四千八百人を数えた。広瀬家の家系は、淡窓をはじめ、月化、桃秋、秋子、久兵衛、旭窓、青邨、林外の八偉賢は名高い。それらの遺品や資料は広瀬資料館として咸宜園と共に公開保存されている。薫長酒造資料館は、町家のファザードを洋風に改造した旧富安家で幾棟も連なる大きな蔵元である。
豆田町で生まれた版画家、宇治山哲平は、「華厳シリーズ」などを発表、古い町なみと、モダンな版画は、シンプルな美意識の中でよく調和する。

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この町を旅する便利な情報集   

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