源平の悲恋  椎葉村

         所在地 宮崎県東臼杵郡椎葉村         
        
n 交 通  宮崎市より車で3時間、n人吉市より車で2時間
おいたち宮崎県の北西部、峠を越えれば熊本県の五家荘となる九州山地の中央部、周囲を千mを越える険しい山々に囲まれた山岳重畳の地にあり、十根川地区(重要伝統的建造物郡保存地区)は、さらに村の中心部より12・北東部の標高500mを越える山肌に13戸57名が暮らしている。年間降水量が2900ミリ、冬には気温が氷点下になる厳しい土地柄である。
この村は、平家追討伝説を抜きにしては語れない。壇の浦の戦いに敗れた平家は、深く九州山地へ逃げた。

 源頼朝の平家追討の命を受けた那須与一宗高の弟、那須大八郎宗久は、椎の葉を以て陣屋を設けたことから「椎葉」の由来とされている。「椎葉山由来記」「椎葉山根元記」によると、那須大八郎は、平家落人のつつましやかな日常生活を見て、生活支援を行いつつ降伏の交渉をしている中で平家の鶴富姫と恋仲となった。そして大八郎は、功業、財宝を捨て部下を帰し、平家落人の平和な村つくりに参画した。これを知った頼朝は、大八郎を鎌倉への帰還命令を出し、鶴富姫は女の子を出産した。
平家落人の集落であるが、現在も8世帯が源氏の姓である那須家を名乗っている。この大八郎と鶴富姫の過ごした短い愛の住まいが、国の重要文化財「鶴富屋敷」として公開されている。さらに、大八郎はこの地に平家尊々の守護神、厳島神社を勧請し創建した。椎葉厳島神社の神楽を初め、村内26ケ所に神楽が伝承されており、総じて椎葉神楽として国指定重要無形民俗文化財となっている。椎葉は、くらしと祈りの村でもある。四季の暮らしの中に伝承行事が溶け込み、人々は、自然の恵みと祈りを大切にしている。これは、民俗学としても貴重な存在で、日本の民俗学最初の出版物である、柳田国男の「後狩詞記」は、この村に伝わる「狩の巻」などの記録と伝聞資料を基にしたものである。
 


まちなみ 住まいは、南斜面の高地に等高線に沿って段状に石垣を構築し建築された。わずかな平地は耕地として残し住宅は斜面地を選んだ。その為、住宅の間取りは、部屋が横一列に並ぶ間口の広い奥行きの浅い一列型平面形式として有名である。横一列に、どじ(土間)、うちね(茶の間)、でい(居間)、ござ(屋敷、寝室)とある。各室の北側には、細かく柱を配置し収納部としているが、これは背後の崖くずれに対応するものと言われている。
集落を囲むような形で馬屋が配置され、石組みは、みちの構造と関連し住戸の全体をアクセスすると共に各戸へはプライバシーを侵害しないようにアプローチされている。このように集落は全体計画があり、計画的に建設されたと推定される。数ある伝統的な町なみの中でも、椎葉村は伝説と芸能文化に包まれた、まさに日本の秘境と言うにふさわしい含蓄のある村である。毎年11月の第
2土、日曜日に行われる椎葉平家まつりも興味深い。
 


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