浜旦那が集う文化都市 竹 原
                   交通:車:山陽自動車道、河内インターより13km、
                     JR: 広島駅より呉線竹原下車、徒歩10分、
                   所在地: 広島県竹原市竹原

竹原は、江戸時代の町なみがよく残っている。町の北側は山であり、南は瀬戸内の海がある。賀茂川に沿って、西北から東南へ約1km上市から下市へと、一本の道に沿って栄えたが、享保年間に復線形街路となり、さらに江戸時代には開拓が進み面的な広がりを持った。西のアイ・ストップには、恵美須社の「ソリ」のある大屋根が、大胆に待ち受けてくれる。そして、一本の街路に直交するように、北側の寺山に、南向に町を見守るような型で、照蓮寺、東へ300m程行くと西方寺、さらに、東へ300m程で長生寺、そして600m程東南に八幡宮が配置されている。これらは、祈りの空間として庶民に親し
まれ、それと共に町に結節点をつくり、(寺社はランドマークともなり、町に変化や楽しさを造りながら、山や川の自然地形と一体となった配置である)まとまりや落ち着きも感じられる町である。                                    この町が繁栄の機会を得たのは、17世紀、藩主浅野長晟が、播州赤穂の指導を受け塩田を開いた。これが成功し、竹原は赤穂と並ぶ塩の生産国として、その周辺産業と共に大いなる繁栄を享受した。竹原の塩は主に糸魚川、直江津、柏崎、庄内、酒田、津軽等北前船ルートを市場とした。
町民たちの財政が豊かになると、町家の建築も立派な建物が多くなる。浜旦那と言われる浜持ちの家で頼家、亀田家、松阪家、吉井家などである。中でも松阪邸は豪快である。松阪家は製塩業の他、酒造業や燃料問屋も商いし財をなした。現存するのは桃山様式の「ムクリ」「ソリ」のある唐破風の屋根、2階には塗り込めの菱格子の窓等を有する重厚で華麗な住宅である。内部も、磨き丸太の柱や垂木を多用し数寄屋風の繊細さも備えている。この松阪邸は、曲線を各所に用いた粋な建物である。
三連切妻が美しい竹鶴家は、現在も酒造業を行っている。経済が豊かになると、文化も栄える。頼山陽の祖父、惟清旧宅は恵美須社の北側にあり紺屋を営み、春水、春風、杏坪の三兄弟が生まれ、後に「三頼」と称され、儒学や詩文、思想の世界で史上に名を残した頼一門発祥の家である。
竹原のまちなみのもうひとつの特徴は、ディテールの微妙な変化である。町全体は和瓦、漆喰塗り込め造りのまちなみで統一されているが、一軒一軒出格子、平格子の組み方に特徴があり、縦格子の中に横格子を加え、さらに横格子部分に彫り物を入れるなど意匠をこらしている。
2階の虫籠窓や武者窓のデザイン、蔵や門の窓の格子、出格子の飾りや欄間などにも実に様々な変化を有し、材料、工法、軒高、屋根勾配などの町の骨格になる大きなデザインコードは統一しながらも身近な部分では、我が家へのこだわりやアイデンティティーを示している。

この町を旅する便利な情報集   

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