・古文書によれば「士稼の人数20万人、家数2万6千軒余」と、多少の誇張があるようだが繁栄を極めた。大森銀山は御料地であったため、小さな自立都市的要素を併えていた。行政として代官所、公務員としての武家、流通を負う商家、生産活動の鉱山と鉱山住宅、そして多数の農地や信仰の寺院、これらが山間の一本の川に沿って、混然一体となって集落を形成した、しかし、それはヒューマンスケールな単位であった。
・町は標高の高い南より銀山、羅漢町、駒の足、新町、宮の前の地区より成り立つ。宮の前は代官所が設置され、行政の中心であった、周囲に元締屋敷、向陣屋、御間長屋、十歩番所を配して、その外側には、御用商人宅や、銀山御料六組の公事官である郷宿を置いた。銀山との間の駒の足付近には、多くの武家、商家が混在して町なみが形成された。 |
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・武家住宅と町家の違いは、武家住宅は街道から奥まったところに主屋を設け、みちに面して塀をたて、庭を設けているので“へいなみ”が町なみ景観に大きく影響を与えているのに対し町家は、街道に面して土蔵、塀、主屋が並行し建物が町なみ景観を構成している。武家住宅と町家の混在している大森はこの相違がよく見えるまちでもある
・代表的な町家に松田屋があり、弘化4年建立の主屋を初め、土蔵2棟等数軒の家屋が複合されたもので、間口は12間半におよぶ大きな住宅である。現在は、創作衣料、土産物店として吹き抜けの大空間に古い小屋組を生かした商空間として再生され人気を得ている。中庭のしつらえも古い家屋と調和したウッド デッキに彫刻を核としたガーデンが造られている。
武家住宅の代表的な存在は河島家であり市の公開施設となっている。又、この町は現在世界文化遺産への登録を目指して準備を進めている。 |