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・京都を代表する清水寺は、その参道が美しい、観音信仰の隆盛に伴い、参詣した参詣道が二年坂、産寧坂である。この地区内では八坂門前町、清水門前町として、参詣客相手に茶屋が繁栄した。茶屋には茶立女がおり、遊興の席に連った。しかし、奉行所から服装や行為が規定されていた。この為、鴨川沿いの新町地区に、公儀の制約を受けない茶屋が建てられ、様々に遊興が行われその結果、伝統的な参詣道の茶屋は衰退し、新興の新町地区が発展した。地元の有力者、舛屋喜兵衛は、茶屋営業に代わる新しい産業を興そうと計画し産寧坂の西斜面に陶磁器の製造窯を築いた。こうして産寧坂は江戸初期に、茶屋町から清水焼きの職人町へと変身した。 |
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・高台寺の北側、下河原町通りに挟まれた一帯を“石塀小路”と称する、他の地区とは雰囲気の異なる一帯がある。ここは製茶販売で財をなした“上村常次郎氏”一個人が開発した地区である。彼は明治から大正にかけて、高台寺等から土地を購入し、席貸を併用した住宅の貸家団地を経営したのである。みちはすべて石畳を敷き、L型又はT型で構成し、建物の前面に高塀を設け、街路沿いには石段を、玄関脇には前庭を設け、閑静な邸宅の雰囲気をもつ、1階が居住空間となり、2階が貸席となっていたようだ。この空間の質の高さが、周辺の広大な敷地を持つ別荘や、壮大な伽藍配置の寺院の中で、38戸の借家群が堂々と調和している。
・産寧坂のまちなみ景観の特徴は、大きく3つのゾーンに分けられる。 |
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1)南の部分は、清水寺参詣道として、東山山麓の斜面に発展した門前町である。ゆるやかな石段によって、街路景観は変化に富んだものとなる。沿道の建築は微地形に沿うように地形を変えず。建物を変化させて建設されていることが、特徴のあるまちなみ景観を創り出している大きな要因である。
2)高台寺北門通りから、八坂の塔を囲むように二年坂へ至る部分は、歩きながら八坂の塔が見え隠れし、道路沿いの土塀と季節の情景が、古都・京都の郷愁を感じさせるゾーンである。八坂の塔はランドマークとして、地域に親しまれているだけでなく、この塔を含む産寧坂地区全体が、日本の代表的風景として、愛され多くの観光客を引き寄せているのである。
3)もう一つは、前述した石塀小路である。擁壁を兼ねた連続した石塀と、石畳で構成された石のまちである。石の町はヨーロッパではよくある光景であるが、京都にある石の町も一度は、訪ねて見る価値はある。 |