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★上の写真は、「日常と非日常の境界を越える。癒しの門」とゆうコンセプトの元、故アルド・ロッシの設計による”門司港ホテル”です。
舟をイメージした平面プランにインテリアはイタリア・ミラノのテイストを強く感じる。
アルド・ロッシは、世界の建築界の巨匠でありる。1931年ミラノ生まれ、ハーバード大卒、ベネチャ大学教授。
建築界のノーベル賞と言われるブリッカー賞を受賞。日本では、1989年福岡のホテル・イル・パラッツオの作品がある。 |
「源平の合戦」で有名な”壇ノ浦”は門司港の眼前である。和布刈公園内第2展望台から、関門海峡の古戦場を一望出来る。潮の満干時には、急流の如く流れる関門海峡の潮流は、平家一門の運命
をも変えてしまった。文治元年(1185)3月22日、義経は範頼の代官三浦義澄を先導として、総勢八百数十隻の船に分乗して壇ノ浦奥津に着き、迎え撃つ平氏の水軍は唐船造りの御座船を含めた五百余隻で、これを三手に分けて、第一陣を九州の山鹿秀遠、第二陣を松浦党、第三陣を平家一門とし、赤間関の対岸にあたる豊前国の田ノ浦沖に集結した。この時点での戦力は文献によっては別の数字が記録されており、「平家物語」では平氏千艘、源氏三千艘、赤間神宮に保管されている重要文化財「長門本平家物語」では平氏五百艘、源氏三千艘、また「源平盛衰記」では平氏五百艘、源氏七百艘となっていまる。
第81代安徳天皇は寿永4年(1185)3月24日源平船合戦において平家一門と共にここ壇ノ浦に入水され平家の時代は終了し、源氏の時代は、新しい、武家が主導権を持つ時代へと改革されていった。 |
1917年(大正6)に大阪商船門司支店として建築された洋風2階建て。 煉瓦のように見えるオレンジ色のタイルと、白い石状の帯が外観を覆い、中央部に八角形をした塔屋が印象的に配置されている。当時は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていた。現在は門司港レトロの「海事・イベントホール」として、1階は多目的に使用できる海峡ロマンホール、2階は「海」「港」「船」をテーマにした海事資料室や売店となっている。 |
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重要文化財「旧門司三井倶楽部」は大正10年(西暦1921年)、三井物産の接客・宿泊施設として門司区谷町に建築、その後所有が国鉄に移ってからは門鉄会館と呼ばれ、平成2年、現在のJR門司港駅前に移築・復元された。相対性理論で有名なノーベル物理学者アインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も、「アインシュタインメモリアルルーム」として、当時の状態のままに保存されており、博士は港周辺を散策して、門司港は大変お気に入りであった。館内には他に、門司生まれの女流作家林芙美子の資料室や「レストラン三井倶楽部」などがある。 |
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親水広場に接し、門司港ホテルの対岸にある。
明治42年の門司税関発足を契機に、明治45年に建てられた煉瓦造り瓦葺平屋構造の建築物。昭和初期まで税関庁舎として使用されていた。1階はエントランスホール、休憩室、喫茶店「レトロカフェ」、展示室、2階はギャラリーと関門海峡を望める展望室となっている。
特に、1階の「レトロカフェ」は、白を基調とした店内で、とっても落ちついた雰囲気で窓の外に広がる海を眺めながら、 ゆっくりティータイムを楽しめる。 |
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