お舟出伝説の町 美々津
               交 通 :JR: 日豊線、美々津駅より徒歩20分、
                    バス: 日向市よりバス宮崎交通 美々津下車
                   所在地 : 宮崎県日向市美々津町 

その昔、神武天皇は九州高千穂をお出になり美々津に滞在され、天候の良い日を伺いながら、瀬戸内海を東上し大和へ向かう準備をしていた。お舟出は、旧暦の8月1日と決め、里人達は天皇にお祝いの“だんご”を差し上げる等の用意をしていた。ところが風の都合で夜半になって、暁の舟出と変更され、里人達はお見送りやおとものため各戸の板戸をたたき、「おきよ」「おきよ」と寝ている人々を起こして廻った。現在この美々津の街の名物のおみやげは、“御舟出だんご”と、美々津手すき和紙。そして伝統行事は、旧暦8月1日の“おきよ祭り”である。
町は耳川河口の美々津港を中心に、北に緑豊かな高台を背景に、東に日向灘を眼前に、風を遮る港町として発展してきた。

西の高台には立磐神社、愛宕神社等の神社、仏閣ゾーンがあり、すぐ南の山裾の通りが上町で、渡舟場と町をつなぐメインの通りであり、美々津の商人達が九州の林産物を千石舟で大坂地方に運び、帰路は、関西の特産物や美術工芸品を持ち帰った。備後屋、明石屋、播磨屋、泉屋等、瀬戸内地方の地名を屋号とした廻船業者が隆盛を極めた。又、この上町には、高鍋藩の番所、藩蔵、役人の屋敷、高札等もあった。その東の通りが中町で、商家や廻船業に従事する舟員、舟大工等が多く居住していた。下町で船員や舟大工、後には漁師も多く住まうようになった。下町の舟大工の民家には、庇の待ち送り等にも巧みな彫刻がみられ、“床机”等の庶民的なしつらえの中に、大衆芸術が読み取れる。

この南北の三本の通りを直交するように丘から日向灘へ、幅広い防火帯“ツキヌケ”が2本通る。ツキヌケは角に共同井戸が設けられ、幾度かの火災の教訓が生かされている。ツキヌケに面する建物の壁面は石積みの上に漆喰を塗り、町全体の耐火壁の役割をも持たせている。
代表的な建物は、商家の「旧廻船問屋・河内屋」“お休み処”その建築の保存を兼ね、ビデオ上映や湯茶接待を行っている。特に外観の虫籠窓は上下の高さが高く、鋼製の耐火扉や2階壁高面のなまこ壁等、明治の豪商が造った、近代和風建築の様子が伺える。

この町を旅する便利な情報集  

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