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詩情の水郷
柳川
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所在地 福岡県 柳川市新外町
交 通 福岡より西鉄大牟田線で50分柳川市下車
車 大分自動車道八女I.Cより30分
おいたち
元禄年間頃、蒲池氏によってこの町は開かれ、関ヶ原の合戦の後、(1601年) 柳川に入城した 田中吉正公は 5層の城を築き、城の周りや町中に 堀割を縦横に張り巡らせました。人々は この城を”水の城”と呼び、もしもの時は 城の水門を閉めることにより 城内を残して 周りが水浸しになって、容易に敵の侵入を防いだのです。堀割は軍事的な目的のためでなく、住民の飲み水や 周囲の 田畑の農業用水としても利用された。その後、立花宗茂が12万石の城主として復活した 立花藩(たちばなはん)は明治維新まで続き、廃藩置県後は初代県知事も務めた。
北原白秋
水郷柳河こそは、我が生まれの里である。
この水の柳河こそは、我が詩歌の母胎である。
この水の構図この地相にして、
はじめて我が体はは生じ、我が風は成った。
北原白秋「水の構図」より
白秋祭は、
北原白秋の命日をしのび、前夜祭の11月1日から3日間にわたって行われる水郷の秋の風物詩。ほおずき提灯やあんどんで飾った多数のドンコ舟が行き 交う水上パレードでは、白秋作詞の童謡のコーラスや演奏、川岸のかがり火、仕掛花火などが、川下りコースを一大絵巻のような美しさに包み込みます。また、白秋の命日にあたる2日は、白秋詩碑苑で全国から寄せられた献 詩の中から選ばれた入賞者や市民などが詩碑を囲み、式典が行われます。
御花は、
1697年柳川第四代当主
立花鑑虎公
によって建築された藩の「別荘」ですもともとこの周辺の地名が「花畠」だったことから、「おはな」と呼ばれ親しまれてきた。ひときわ目立つ「西洋館」は、明治時代後期に建築されたもので、明治の香りがいまもいたるところに残っている。この建築様式は、当時の宮家、富豪た ちの間で流行った「西洋館の正 面玄関に続く日本建築の大広 間」という形式である。
国指定名勝 松濤園
松濤園と呼ばれる庭園は、仙台松島の景を模した設計で、園 内約280本の松は200年から300年の古木です。大広間前の巨石 は、旧天守閣の台石を移したものです。池には、毎年10月より4月半ばまで約500羽の野鴨が飛 来し、間近に自然の姿を眺めることができます。
水郷柳川の魅力はなんといっても川下りです。竹竿一本で操るどんこ船に乗り、町裏を縦横に流れる掘割りを下ってみると、その詩情豊かな 城下町の懐かしさと、そのゆるやかな時の流れを感じる事ができる。 川下りの水路は、柳川城を取り巻く堀で水門の石垣は今もその面影を残している。途中、めずらしい昔の漁法や河岸の民家の美しいガーデニング風景などが楽しめる。
この町を旅する便利な情報集
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