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・臼杵は、永禄5年大友宗麟によって臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城され、海外、国内の交易を行う商業都市として栄えた。フロイスの「日本史」に「豊後のローマ」と記されるほどの国際都市であった。現在も唐人町という名前が残っている事でも当時の繁栄ぶりがうかがえる。慶長5年(1600)臼杵城主として入府した稲葉氏は近世城下町の整備を行った。臼杵は平坦部が少なくしかも、平坦部は先に商家街がつくられていたため、その後武家屋敷、寺院などは渾然一体となって起伏のある丘陵縁辺につくられ変化に富んだ町なみ景観を生み出している。 |
・まちなみ
臼杵の町は大きく四つのゾーンに分けられる。それは、城下と在中(村)を結ぶ街道の出入口に町屋と寺院が混在するかたちで形成された平清水地区、町屋と土蔵が軒を連ねる町八地区、起伏に富んだ地形を巧みに利用して造られた武家屋敷や寺院が並ぶ二王座地区、そして小さく開けた武家屋敷が軒を接する様に建てられている海添地区の四地区である。 |
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平清地区は野津、三重街道の入口で番所が設けられ龍原寺など数々の寺院がある。町八地区は、船着き場があった。町人や職人の居住する町人街で小手川酒造は野上弥生子の生家で文学記念館が設けられている。二王座地区は城下町臼杵を印象つける切通し、等曲折した坂のある屋敷町で、武家屋敷の面影を今日に伝えている。海添は城の南に位置し中級武士から足軽が居住した。旧丸尾家は公開されている。 |
・臼杵は、国宝臼杵磨崖仏でも有名である。古園石仏大日如来像に代表される磨崖仏は、平安時代から鎌倉時代にかけて彫像されたと言われる。石像群は、四群に分かれ地名によってホキ石仏第一群、同第二群、三王山石仏、古園石仏と名付けられ、その中から59体が国宝に指定されている。それぞれが傑作、秀作ぞろいであり特に中尊の大日如来像は日本石仏中の最高傑作に一つだとされる。じっと見ていると、キリリとした眉、伏し目に端正な顔、ほのかに紅を引いた唇、見る人にやすらぎを与えてくれる仏さまである。 |
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