槇の生け垣が見事 松阪御城番屋敷

                       所在地;三重県松阪市殿町
                       
交通;近鉄・ JR ・松阪駅より徒歩15分
                          伊勢自動車道・松阪 IC より車で10分

天正 16 年( 1588 )に蒲生氏郷が築いた松阪城は、周囲に堀と土居を巡らした壮大な平山城であった。現在では、高い石垣に囲まれた上段の本丸・きたい丸跡と、中段の二の丸・隠居丸跡が保存され三重県指定史跡になっている。そして下段にあって城の内でもっとも広がりのあった三の丸跡は、松阪工業高等学校などが立ち並び、往時の面影を偲ぶことは難しい。そのなかにあって裏門跡と搦手門(竹御門)跡を結ぶ石畳の道の両側に槇垣を巡らした武家屋敷が現存する、それが御城番屋敷である。  

松阪は、元和 5 年( 1619 )に紀州藩に属し、松阪城御番屋敷は松阪城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として文久 3 年( 1863 )に建てられた。約 1 ヘクタールの屋敷地のなかに主屋 2 棟と前庭、畑地、土蔵、南龍神社があり、主屋は東棟 10 戸・西棟(公開棟) 9 戸を連ねる。当初は西棟も 10 戸であったが、その後一戸分が解体された。屋敷は、現在も子孫の方々が維持管理し、 12 戸分は借家として利用されています。松阪市は、このうちの 1 戸分を借り受け復元整備して一般公開している。
 東に隣接する殿町(旧同心町)一帯も同心と呼ばれた武士達が住んでいた場所で、今でも美しく刈り込まれた槇の生け垣の町並みが続いている。 (写真1)(写真2)
旧伊勢参宮道に屈指の豪商“ 小津清左衛門邸”を公開した「松阪商人の館」 (写真4)がある。
魚町通りには、木綿問屋“長谷川邸”があり (写真3) 、郊外の中万には“竹口邸”、射和には“国分邸”などが現存し、松阪商人の繁栄ぶりがうかがえる。

 

   
松阪を代表する人物と言えば、 35 年の歳月を掛け「古事記伝」を執筆した偉大な国学者“本居宣長”が挙げられる。宣長は、木綿問屋小津家に生まれ、 22 歳で家業を継ぐが、 1752 年に上京、堀景山に儒学を学ぶ。 1757 年松阪に帰郷して医業を開業。 63 年賀茂真淵の門人となり賀茂真淵の古道学を継承して国学を大成させた。本居宣長の旧宅「鈴屋」は現在松阪城跡内に移築し公開されている (写真5) 。三井グループの創始者で後の三越である「越後屋」を江戸で開業した“三井高利”も松阪の人である。彼は今では常識である「店頭販売」や「現金掛け値なし」のビジネスモデルを開発し大成功を納めた。  日本を代表する映画監督、“小津安二郎”の家は財閥の三井家と並び松阪を代表する商家だった。小津の本拠″は首都圏。しかし小津映画の原点には三重県飯高町の宮前尋常高等小の代用教員時代の暮らしや経験が影響しているという。「早春」「秋刀魚の味」「小早川家の人々」など代表作を上映する「小津安二郎青春館」がある (写真6) 。小津映画は、何気ない家庭生活の中に、温かさ、人間臭さなど、私たちが忘れかけている郷愁・哀愁・家族愛などを思い起こしてくれる。

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