白糸姫の居城跡
金ヶ崎町
城内諏訪小路
photo:大松沢家住宅
所在地:岩手県金ヶ崎町西根表小路ほか
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交通 :東北新幹線北上駅、東北本線乗り換え金ヶ崎駅下車
車:東北縦貫自動車道「北上・金ヶ崎」インターより10分
photo:表小路の三好家附近
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おいたち
金ヶ崎城跡から北上川を眺望する光景は、釜ヶ淵の夜雨、片岡の夕照などと共に、諏訪八景として親しまれている。金ヶ崎城の起源は「西根風土記」によれば、坂上田村麻呂がここに蝦夷攻略の拠点として館を築き、
安倍貞任
一族の居城であったが貞任没後安倍頼時の女「白糸の前」が住み、
源義家
も陣を張ったといわれる。
地形は、北上川、胆沢川、宿内川によって形成される舌状台地の上にあり河川や平野部とは急勾配の斜面で囲まれ「天然の要害」となっている。近世では、伊達領となり仙台藩一二要害の一つ南部領と接するこの地に金ヶ崎要害が置かれていた。1644年には伊達一族の大町氏が入り城下町を築いて整備し、今日まで町の構造をよく残している。
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まちなみ
平成12年に文化庁より重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並みは、金ヶ崎町城内諏訪小路、表小路、裏小路、達小路などの武家屋敷町であり、通行路は枡形、T字形、弓形など独特の構造を持っている。屋敷内では、外構えとしてヒバの生け垣と石積み、エグネと呼ばれる屋敷林を構え、これが景観上の特長となっている。ヒバの生け垣は、屋敷林と小路の境、エグネは主に主屋の北西方向に配置されている。屋敷地の入口は門を建てることは少なく、生け垣の切れ目から奧を見通せないように鍵型に曲げた通路を造っている。屋敷地の面積は3300平方メートル(千坪)と広く、小路と主屋の間に主庭、前には、露地庭と畑が、奧には畑が造られ、桜、紅葉、栗、柿、百日紅などが植樹されそれぞれの季節に町なみ景観に寄与している。さらに各屋敷には、石造りの祠(明神様)が祀られている。
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こうした建造物群、エグネ、生け垣、樹木、祠、畑といった屋敷構成は、武家屋敷町でありながら、農家の屋敷構成とも類似しており、武士が帰農してからの歴史をも演出している当地方ならではの歴史的風致を有していると言える
西根南羽沢にあるふるさと伝承館は明治31年建築で当地の人々のくらしを伝えるケヤキづくりの民家です。四脚門から主屋、厩、厠とつづく三つ屋型式となっている。
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古代東北の雄、安倍12柵の1つ
「鳥海柵」
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