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くらしよし 赤瓦の倉吉
nnnnnnnnnnnnnnnn n 所在地 :鳥取県倉吉市新町、東仲町ほか
 
nnnnnnnnnnnnn nn n通 : JR山陰線倉吉駅からバス15分

山陰といっても倉吉は暖かい、西に大山、南に中国山地、東には三徳山を背景に、北の鳥取砂丘との境界にも小高い丘陵に囲まれた鳥取県中央部の盆地である。曇天と雨の多い日本海型の気候であるが、気温は1〜2月の最低気温も3〜4度で山陽地方と変わらない。 
日本海に近く比較的温暖なこの地方は、先土器時代からの人類の足跡が見られ、古代国家、伯耆国の国府が置かれた。向山には400基を超える大古墳群が存在し銅鐸も出土している。中世に入り山名師義は打吹山に築城し、以後尼子経久、毛利元就の支配下となる
近世に入り、池田光政の領地となるが元和一国一域令と「武家諸法度」の制度により、打吹城は取り崩された。城下町としての機能を失った倉吉は、稲抜き千刃や木綿、倉吉絣等の手工業を中心とした経済都市への道を歩んだ。特に倉吉の千刃は、中国山地の「たたら製鉄」と秘宝の油で防錆処理をし全国を制覇、農作業に革命をもたらし、明治に入り福永章一氏が回転脱穀機を完成し、現在も残る鍛治町には30軒余りの鍛冶屋あった。倉吉絣(カスリ)も隆盛し6つの絣工場があった

それらの赤煉瓦の煙突と、流通を担う商家の蔵、現在の赤瓦の町、倉吉は、これらの商業群が玉川沿いに構えた店と蔵の景観で倉吉の町をレトロなムーヅにしている。 
魚町から西町にかけて延長580mの本町通りには、両側に商家が並ぶ、この付近は、城下町の時代からの町人町で、並行して玉川が流れ、研屋町、新町通りの職人町と境界をなしていた。玉川は、奥谷からの運河で生活排水と防火用水の役割を持った。玉川沿いの南側が赤瓦の町として有名な白壁土蔵群のまちなみとなっている。この通りは、本町通り商家群の裏門倉、裏座敷、醸造倉等の建築群で、各戸の裏口には、玉川に一枚板の石橋が架けられている。
  この通りは、本町通り商家群の裏門倉、裏座敷、醸造倉等の建築群で、各戸の裏口には、玉川に一枚板の石橋が架けられている。南側の正面入口はアーケードが設置されレトロな景観は見られないが、この本町通りから裏の玉川までの奥行き約50mが各戸の敷地であり堂々たる豪商の並ぶまちなみである。山陰の曇り空に赤瓦が映える。この赤瓦は、石州塩焼瓦で雪害に強い。代表的な民家に高田邸、淀頼邸、江原邸、前田邸、谷本邸などがあるが居宅であり非公開である。醤油醸造家を改装した赤瓦一号館を始め、赤瓦八号館まで各種の物産販売や、飲食の出来る民家があり、赤瓦五号館では自分で選んだコーヒーを自ら石臼で挽かせてくれる店もある。

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