塩飽水軍の自治集落 本島町笠島
             交 通 : 丸亀港よりフェリーで本島港へ本島より貸し自転車で10分 
             所在地 : 香川県丸亀市本島町笠島ほか

瀬戸大橋を身近に見る本島は、瀬戸内海をフェリーで渡る、おだやかな船の旅は心が安まる。     この島の男達は、勇敢で、時代の読みに鋭く、自らの知力、行動力で、信長、秀吉、家康から朱印状を受け、どこの藩にも属さず、天領でもない住民主体の自治国家を300年以上も持続させた。古くは建武2年(1335年)足利尊氏は、鎌倉に反旗を翻し京へ上った。これに呼応し、西から細川定禅は、讃岐の香西氏と共に京に攻め昇った。この時の足利軍を海上支援したのは塩飽の水軍(海賊)である。
室町時代、伊予能島の村上水軍は大内氏を支援していた。村上氏は交流のある塩飽水軍も大内氏に従うよう説得した。当時大内氏は、明から「大日本国王」の印を受け、勘合貿易船を明に派遣していた。航海技術のすぐれた塩飽水軍はこれに乗り込み“倭寇大将軍”として活躍したのである。実力をつけた塩飽水軍は、戦国時代、輸送船団として、信長の石山本願寺攻めに味方し、堺港へ出入りする特権を得、秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵に協力し、その報酬として領地や金品でなく、自治権や漁業権(網運上銀と称す)を獲得した。

これにより塩飽の人々は、どの藩にも属さず、年貢を納める必要のないばかりか、近海で漁業をする漁船から網運上銀と称する年貢を徴収する権利を得た。自治は、塩飽諸島は住民650人の共有財産として住民の中から選ばれた4人の年寄たちによって政治が行われた塩飽勤番所は、全国で他に例を見ない自治領を統治した住民たちの政庁である。入母屋造り本瓦葺きの重厚な長屋門を潜ると徳川家康の朱印状や貴重な海図が保存されている。
町は、集落の東に城山、西に西山、南に遠見山に挟まれた北西に瀬戸内海に広がる入り江に立地する。

海岸線に沿って弓なりに湾曲する「マッチョ通り」を主道路とし、東西道路はマッチョ通りに垂直に櫛状に海岸の向かって枝道がある。つまり集落は笠島港内の海上の一点を要として扇状に構成されているのである。       
建物は、塩飽の船持ち衆が、その富と誇りを競い合って屋敷に意匠を凝らした工夫の跡が随所に見受けられる。 中でも真木氏宅は、江戸時代の建物で、祖先は年寄を勤めた人もある家柄で、なまこ壁をふんだんにあしらった外観と、吹き抜けのある通り土間、主屋から出し入れ出来る倉などが特徴である。小栗邸は、もと廻船問屋であった。塩飽の建物は持ちおくり等に意匠が凝らされ、塩飽大工の名声をいかんなく発揮している。さらに基礎にも丁寧な御影石の組方が見られ、建物全体に質の高いものとなっている。青い海を見ながらこのレトロな町なみでしばらく時間を忘れたいものである。 

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